知られざる日本の誇り

競馬


ブータン農業の父】ブータンに「西岡記念館」
農業発展に尽力、功績紹介




ブータンに「西岡記念館」 農業発展に尽力、功績紹介
ヒマラヤのブータンへ50年前に渡り、農業技術指導者として同国の発展に尽力した
西岡京治氏(1933〜92年)の功績を紹介する記念館が西部パロに開館し、国際協力機構
(JICA)の田中明彦理事長やブータン政府高官ら約100人が出席して式典が行われた。  




西岡氏は、日本がブータンと外交関係を樹立する前の64年、JICAの前身組織から派遣された。
農業が技術的に遅れていた当時のブータンでコメの品種改良や野菜栽培の普及、農業機械化などで
献身的な活動を続け、食料自給率と生産性を向上させた。



→ http://www.minpo.jp/globalnews/detail/2014061701001798


西岡 京治(にしおか けいじ、1933年〈昭和8年〉2月14日 - 1992年〈平成4年〉3月21日)は、
海外技術協力事業団に所属して活動した日本人農業指導者、植物学者。



ブータンの農業の発展に大きく貢献し、「ブータン農業の父」といわれる。
ブータン国王から「最高に優れた人」を意味する「ダショー」の称号を贈られ、
現地ではダショー・ニシオカとも呼ばれる。



1964年(昭和39年):ブータンに、海外技術協力事業団(現・国際協力機構)の
コロンボ・プランの農業指導者として夫人とともに赴任。




赴任当初はインド人が大半を占める農業局から冷たい歓待を受け、試験農場すらまともに
用意されなかったという。そのような中、28年間にわたって日本から導入した野菜の栽培および
品種改良、荒地の開墾など、ブータンの農業振興に尽力する。




西岡の振興策は援助側の一方的な施策の押し付けではなく現地の実状に即した
漸進的なものであった。このため、成果の確実性と定着性において他に例を見ないほどの
成功を収め、農法にとどまらず産業・生活の基盤改善に大きく寄与した。




1980年(昭和55年):ジグミ・シンゲ・ワンチュク国王から「国の恩人」として、
民間人に贈られる最高の爵位である「ダショー」を授かり、同国において唯一にして
史上初の外国人受爵者となった。




1992年(平成4年) 3月21日:帰国直前、敗血症に罹り、ブータンにて死去した(59歳没)。
3月26日:ブータン王室およびブータン政府によって西岡京治国葬が執り行われ、
遺体は夫人の意向に従ってパロ盆地(cf. パロ)が見渡せる丘にある葬儀場に埋葬された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/西岡京治



ブータンのパロ空港の南西の丘に建っている、故・西岡京治氏を祀るチョルテン(仏塔)
[,w500]


日本語で西岡氏の功績が讃えられている
[,w500]


日本語で記された西岡チョルテンの案内板
[,w500]


→ http://hosyusokuhou.jp/


日本の誇りですね。
今からでも遅くはありません。
是非とも、この日本人として誇りになる人に
叙勲を持って労をねぎらってください。