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台湾・高雄に日本の「軍艦」祭る新堂完成 
日本統治時代の軍港、今も追悼供養



日本の「軍艦」などを祭っている台湾南部・高雄市道教霊廟「紅毛港保安堂」の新堂が完成し、
仮堂から神像や神艦を遷座する落慶祭がこのほど行われた。



高雄は日本統治時代、海軍と軍港の街として知られた。同堂によると、終戦直後、漁師が漁網に
かかった頭蓋骨を地元の廟に祭って慰霊したところ、大漁が続いたため、1953年に保安堂を建立。
その後、頭蓋骨が「日本海軍38号哨戒艇の艇長」を名乗って漁師の夢枕に立ち、「部下を日本へ
連れて帰れなかったのが残念」と語ったと伝えられている。
そこで漁師有志が90年ごろ、「魂だけでも帰れるように」と、「日本の軍艦」の模型を作り神艦
「38にっぽんぐんかん」として奉納、追悼供養したという。

 


港に面した旧堂は再開発で2007年に移転を迫られ、堂管理委員会では神艦などを仮堂に遷座し、
08年から3500万台湾元(約1億2200万円)を投じて新堂を建設。
うち100万元(約350万円)は邦人有志の寄付という。

 

昨年末に行われた落慶祭には、陳菊・高雄市長も参列した。

 

市中心部から遠く、邦人参拝客は少ないが、亡父が海軍志願兵だった縁などから毎年、団体で慰霊
訪問を続けてきた福岡市の専門学校経営、小菅亥三郎さん(66)は「日本人としてはとてもあり
がたいこと」と謝意を表明。管理委員会常務監察役の趙麗恵さん(53)も「新堂で新年を迎えら
れてうれしい。日本からも多くの方にお参りにきてほしい」と語っていた。



→ http://sankei.jp.msn.com/world/news/140110/chn14011007390000-n1.htm



台湾人、・・・、ううぅ、泣かせてくれます。
ありがとうございます。
寄付額も決して安いものではありません。
船長ともども部下も、今は靖国神社に戻って
きているでしょう。
ホントに有りがたい、心温まる話ですね。
どっかのトンスルランドとは大違い、比較する
だけ失礼というものでしょう。