バ姦国軍の残虐的暴行

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ベトナム戦争時の、韓国軍の蛮行の一部


1969年10月14日、ベトナム南部の仏教寺院で韓国兵がリンソン寺でベトナム女性に
戯れようとして住持僧に追出されるとこれに激怒,。
同僚を誘って銃器を乱射し、71歳の住持僧, 69歳の老僧, 41歳の女僧, 15歳の修行僧
等 4人を殺害した。



※韓国では、儒教以外の宗教を数百年間において差別している。
特に仏教(仏教徒)は迫害されているため、ベトナムの寺院の僧侶も虫けらの如く虐殺した。



1965年12月22日, 韓国軍作戦兵力 2個大隊がビンディンソン、クィニョン市に500余発もの
大砲を撃ち込んだ後、“きれいに殺して, きれいに燃やして, きれいに破壊する”という
スローガンの下、 捜索掃討作戦を繰広げた。
彼らはこの村で12歳以下の22人の子供, 22人の女性, 3名の妊産婦, 70歳以上 6名の老人を含む,
50余名を超える良民を虐殺した。



ある女性は、子供を出産して二日目に銃で射たれて亡くなりました.。
彼女の子供は軍靴で踏み潰され、まだ血が流れていたお母さんの胸の上に投げ捨ててあった。
妊娠8ケ月に達していた友人は銃弾が貫通して亡くなり, 子宮が外に出ていた。



韓国兵は一歳になる子供を背負っていた娘を射ち殺して, 子供の頭を切り取って地面に放り投げ,
あとはいろいろな形に切り出してくぼみに捨てた。
彼らはまた、二歳の子供の首を折って殺し, ある子供のからだを持ち上げて、樹に投げつけて殺した後、
焚き火に乗せた。 そして、12歳の私は脚を射たれて倒れ、くぼみに捨てられたのです…"。



韓国軍の虐殺現場は他にももっとある。
当時の報告によれば、66年 1月23日から 2月26日までの約一ケ月間、猛虎隊 3個小隊, 2個保安大隊,
3個民間自衛隊により、この地域だけで、計1200名の住民が虐殺されて, そのなかにはひとり残らず
抹殺された家族が8世帯にもなった. また、1535軒の家屋と850万tに達する食料が焼き払われ, 649頭
に達する水牛が銃弾によって死んだり焼き殺された。



韓国軍の良民虐殺の手口
・住民たち(大部分が女性と老人, 子供たち)を一ケ所に集めた後、あるいはいくつのグループにまとめて、
 機関銃を乱射して抹殺する。
・住民たちを一戸に追い詰めて銃を乱射した後、家と一緒に死亡者も生存者も全部燃やす。
・子供の頭を割ったり首をはね, 脚を切ったり四肢を切断して火にほうり込む。
・女性を強姦した後、殺害して, 妊産婦の腹を胎児が破れ出るまで軍靴で踏み潰す。
・住民たちを村のトンネルに追い詰めて毒ガスを浴びせて窒息死させる。
※韓国軍の大量虐殺が強行された所では、子供たちの口にキャンディやケーキが含まされていた. 老人たちの
 口にはタバコが咥えられていた場合が多かった。
 恐らく、村人を安心させながら一ケ所に集めるための手段だったようだ。



韓国の雑誌「ハンギョレ21」抜粋



ベトナム戦争の混血児問題
韓国がベトナム戦争に参戦した際、韓国軍兵士や軍属の韓国民間人が「レイプ」「非管理売春」「現地妻を
持ったこと」などにより、多くの混血児が生まれた。
特に現地妻との間に生まれた混血児の数は、2004年9月18日付の釜山日報の記事によれば、5千〜3万人と推定
されている。

 

ベトナムと韓国では、韓越混血児を「ライタイハン」と呼んでおり、ライはベトナムで軽蔑の意味を含めた
「混血雑種」、タイハンはベトナムにおける「韓国」の名称である。
現時点では、韓国政府から被害者や混血児に対する謝罪や補償は行われていないが、最近、韓国人(父親)が
認知しない場合でも、写真など客観的に関係を立証する資料があれば国籍を付与する法案を積極的に検討する
事にした。
また「ライタイハン」自身が、韓国人である父親に対して実子であることの認知訴訟を起こし、判決により
韓国国籍を取得する動きもある。
東亜日報、2002年7月26日。
 


日本に対して謝罪と補償を求める一方で、ベトナムに対しては補償はおろか謝罪すら行わないことはダブル
スタンダードとの批判は免れない。一方で、日本軍兵士による犯罪行為を持ち出すことで韓国軍兵士による
犯罪行為を相対化し矮小化しようとする動きがあることに対しては、フェミニストを中心に国内外から
強い反論がなされている。