所詮は半万年植民地

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習近平氏の「戦友」発言は韓国を
心底からバカにしている表現


最近、韓国を訪れた習近平国家主席の韓国の立場をまったく無視した歴史認識は韓国にとっては深刻だ。
その後、さすがにメディアなどで中国批判が出ており、韓・中歴史戦争再燃を予感させている。



習近平は韓国滞在中、ソウル大学で講演した。理工系の講堂だったが講演の中身はもっぱら歴史だった。
彼は中国の歴史を回顧しながらこれまで中国と韓国はいかに仲がよかったかを強調した。
明の時代の16世紀には日本軍(秀吉軍)の“侵略”に対し共に戦い、清の時代の19世紀(日清戦争の前)にも
共に肩を並べ日本と戦ったではないか、とぶったのだ。

 


習近平朴槿恵大統領との出会いではこれまでも韓国を「親戚」と持ち上げてきたが、今回はさらに踏み込んで、
歴史的には「いつも仲良し」で時には日本相手に“戦友”だったとまで言ったのだ。

 


明と清の時代に中国が朝鮮半島に出兵し一時、日本と戦ったことは事実ではあるが、だからといって中韓
いつも仲良しで肩を並べる戦友だったと言われたのでは、歴史歪曲もはなはだしい。
この堂々たるウソにそれまで親中ムードを演出してきた韓国マスコミも、さすが反論に乗り出している。

 


韓中の歴史戦争はこれまでは古代史が舞台で、紀元前後から7世紀にかけ中朝国境地帯から旧満州にかけて勢力を
張った高句麗の帰属を巡ってモメてきた。韓国は自分たちのルーツといい、中国は自らの一地方政権で中国史だと
主張し対立が続いている。この高句麗だって当時、中国の隋や唐としょっちゅう戦争していたので決して「仲良し」
の歴史ではない。

 


古代史はさておいても、13世紀以降の元や清では韓国(朝鮮半島)はひどい目に遭っている。
元による高麗に対する暴政は井上靖の名作『風濤』(新潮文庫)に詳しいが、高麗の王はいつも元の女性を妃に
しなければならなかったし、清の時代も女性略奪などで泣かされている。




「共に肩組んで日本と戦った」という明時代も、韓国の民衆は明兵の略奪、乱暴に悩まされ、19世紀末の日清戦争前も
ソウルで“総督”みたいに威張っていた袁世凱の横暴ぶりは有名で、とても「仲良し」などではなかった。

 


以上は昔話に属するが、現在、習近平国家主席を務める中華人民共和国となると「仲良し」どころか、あの朝鮮戦争
(1950〜1953年)では大軍で韓国を“侵略”しソウルの南にまで侵攻している。

 


習近平は中国の朝鮮半島に対する侵略、略奪の歴史には一切、口をつぐんでいる。
これまで中国にその侵略責任を一回も追及したことがない韓国だから、心底からバカにしているのだ。どうする韓国?

文■黒田勝弘産経新聞ソウル駐在客員論説委員

※SAPIO2014年9月号


→ http://www.news-postseven.com/archives/20140816_269730.html

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大清国属高麗国旗(モロ属国)



まず、朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。

朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。



そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、
下国のなかの下国であった。

天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、
朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。

また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、
朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが
「渓陰漫筆」に書かれている。

そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。

         (黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店



服装も違ったし、籠にも乗れなかった。
身分が「最も低い」のだからしかたない。


身分の低さは朝鮮がどんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。



・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、
 馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。



朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉が
たった一つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、
年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けている。



朝鮮国内にもその名残がある。

現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、
昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を
地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という
屈辱的な隷属の象徴の門だった。この迎恩門で『朝鮮の国王』が
土下座して出迎えたのは、中国の「王」ではなく中国の『使者』である。


朝鮮はそれほどまでに国家として“下”にみられていたのだ。


この1000年に渡る奴隷のごとき低い扱いは、
彼ら朝鮮民族の『民族気質』に深刻な影響を与えることになる。