競馬界の憂鬱

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SUPER SELECTION メールマガジン
清水成駿の競馬春秋(11/02/03)
次の奴に2つや3つは残さねばなるまい


 
身の丈五尺。
体こそ小さいが侠客の血が流れる大御所は、竹を割ったような気質で数々の修羅場を
くぐり抜けてきた名物調教師。その生きざまは痛快。と同時に心根は細やか。
地方の大器が転厩してきた際も、「米櫃をさらっちゃあ、向うも身を切られるような
思いであったろうよ」と自ら大枚をはたき、地方の無念をなぐさめた。
調教師の前に人としてそういう気遣いができた。

 
まだまだ競馬もこれから良くなろうとしていく黎明期。
すべての厩舎が決して裕福とはいえない時代。
が、そこには大厩舎や中小厩舎を含め、対立軸としてあった東西、あるいは東京、中山の
地域の壁を越え、一つの不思議な連帯感が芽生えようとしていた時期でもある。

 
もちろん、ヘゲモニーを握っていたのは東京所属厩舎。
が、東京が、中山が、と肩肘を張っている時代じゃない。
心ある厩舎人は東京も中山も、関東も関西も軌を一にして切磋琢磨すれば、やがて競馬は
認知され、次の展望が開けることを肌で感じ取っていた。
厩舎をあげて面白い競馬を心がけることこそ連帯感の源。
厩舎はヤル気と活気にあふれていた。

 
それでも厩舎には不文律というべき暗黙の了解があった。
厩舎間における約束事であり、暗黙のルールでもあった。たとえば転厩。
なかったわけではないが、よほどのことがない限り同エリアの転厩はなかった。
東京所属馬なら中山へ。あるいは関東所属馬なら関西へといった具合に、暗黙のうちに馬主、
調教師との摩擦軽減をはかったもの。いうならこれも厩舎の礼儀や行儀であった。

 
なのに、いつの間にかこんな礼儀や連帯感が雲散霧消してしまった。

 
先の転厩から二十余年後の栗東
大牧場の支援をバックに破竹の快進撃を続ける若手調教師は、
「今日からこの馬はウチでやるから」と突然切り出し、一頭の名牝をさらっていった。
さらわれた調教師も若手。馬主と一揉めあったにせよ寝耳に水の午後の椿事。
いきなり米櫃に手を突っ込まれ、これからという虎の子をさらわれたのだから礼儀も
ルールもない。

 
2月は定年の季節。惜しまれて去る名伯楽。
いや、今はその定年さえ全うできず、みずから幕を引く調教師が数多くいる。
これも景気低迷とあわせ個人馬主の数が減り、競走馬の不均衡によるもの。
有力な馬主、優秀な競走馬獲得も調教師の腕といってしまえばそれまでだが、馬を管理、
育成するという本質的な部分でちょっと違うような気がする。
正直、大牧場の寡占化がますます拍車をかける中、そういう馬を扱える厩舎だけが栄える
という現状は、公平で公正な競走を保つ意味でも好ましくない。

 
競馬からどんどん活力が失われていくのもそこだろう。
活力の失われた競馬はせちがらくファンの心に響かない。
まして使うレースからジョッキーまで大オーナーの仰せの通りでは、競馬が盛り上がら
ないのは当たり前のこと。
調教師会は、なぜ消えて行こうとする厩舎に手を差し伸べ、大きな壁と戦い、みずからの
権利を主張しようとしないのだろうか。
すでにそういう連帯感さえ喪失してしまったのだろうか。

 
前述の大御所が定年前にポツリと呟いた。
「何も今、無理に勝つことはないんだ。2つや3つ、勝てる馬を残してやらなけりゃあ、
引き継ぐ奴だって可哀そうじゃないか」
と。もちろん、有力馬を子息に譲り渡そうなどというちっぽけな料簡はない。

 
東京新聞杯に出走する社台RHのゴールスキーは、このレースを前に子息の厩舎に転厩。
これも厩舎とオーナーサイドで決めたこと。それはそれで仕方ない。
が、引き継ぎ調教師は少なからず残念に思ったことは容易に想像がつく。
トップホースを抱える大厩舎だけに、馬主の意向もあり馬や人の振り分けはかなり難航
するはず。ただ、またまた有力馬が偏っては意味がない。
できるなら新規の若い人にいい馬を、と願うばかり。


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