今日は、都内の伯父・伯母が入所するケアハウスへお見舞いというか、ご機嫌伺い。
何で1日遅れかと言うと、言うまでもなく昨日は朝から夕方までベットリ競馬
でしたからね。 ごめんなさい。
伯父は90歳、伯母は89歳。耳こそ遠くなったものの、自力歩行が可能なほどの
矍鑠としたものです。 食事も美味しくいただいてるようで、何より。
伯父・伯母には子供がいません。だからこそ、親戚に迷惑をかけてはいけないと、
節度ある生活と蓄えをしてきました。
ただ伯父が大好きな日本酒のせいでしょうか、糖尿病を患っています。
ですからケアハウスに入所する前は、伯母が伯父の病気に気遣った料理をしていました。
無病息災といいますが、一病息災と言うのでしょうか。
無病の場合には自らの健康を過信して、気付いたらもう手遅れなんてことも珍しく
ありませんね。
逆に一つでも厄介な病を患っていた方が、何かと健康に留意した生活を送れるもの
かもしれませんね。
家を引き払い、このケアハウスが最後の住処かもしれません。
が、部屋は各々個室で、空調も照明も個別、新しい建物だけに、悪くないというか
自分も同じ身になったら、こんな部屋にすみたいと思うくらいです。
そんでもって、明日は菩提寺の秋季彼岸会。好天に恵まれそうで、これも何より。
先日は築地本願寺に行きましたが、菩提寺の住職も築地本願寺に仕事に行く日が
多いようです。 因みに、東京拘置所で死刑が執行されると、よく呼ばれるそうです。
関東では浄土真宗はマイナーな宗派ですが、エッセンスを簡単に書きますと、
「南無阿弥陀仏」を唱えていれば、阿弥陀如来様が極楽浄土に連れて行ってくれます。
修行も荒行も賄賂も必要ありません。
これは、阿弥陀如来様が如来になる際の本願(四十八願)の中の十八番目の願が
これなんですね。「南無阿弥陀仏」を唱える者を全て浄土に連れていく、と。
よく得意なものを「十八番(おはこ)」と言いますが、語源はこの如来様の十八番目
の願が由来となります。
また「他力本願」ですが、「他力」とは他人の力をあてにすることではなく阿弥陀
如来様の力を現す言葉であり、「本願」とは人間の欲望を満たすような願いのことでは
なくあらゆる人々を仏に成らしめようとする願いのことでなんですね。
決して、他人任せ、他者への依存、という意味では決してありません。
これほど本来の意味とかけ離れている言葉も珍しいですね。
何かシルバーウイークもバタバタして終わりそうですね。