おめでとうございます

競馬

2016年2月いっぱいで定年を迎える橋口弘次郎調教師(68)=栗東=にとって、
ダービー制覇まで残されたチャンスは今年を含めて2回しかなかった。
来年、出走できる保証はどこにもない。

 

「今回こそ、勝ってうれしいダービーにしたい」
戦前にそんな言葉を口にしたのも無理はない。1990年のツルマルミマタオー(10番
人気4着)に始まり、これまでに19頭の管理馬を送り込んできた。
現役調教師のなかで最も多い、のべ20頭目の挑戦。その中には、ワンアンドオンリー
ハーツクライを含めて、4度の2着があった(96年ダンスインザダーク、04年ハーツ
クライ、09年リーチザクラウン、10年ローズキングダム)。
ダービーの重みを誰よりも知っているホースマンといってもいいだろう。

 

昨年暮れに、出世レースとして知られるラジオNIKKEI杯2歳Sを勝った後から、
ワンアンドオンリーについて「ダービーでチャンスのある馬」と言い続けてきた。
自ら手がけたハーツクライの産駒でもある。

 

「調教師人生の集大成」

 

このダービーを、そう位置付けて挑んだ。
おおらかで懐の広い人柄と、勝負にかける情熱を飾らずに表現することから、関係者にもマスコミ
にも“橋口ファン”は多い。横山典弘騎手が「いつもお世話になってきたので、何とか頑張って
勝ちたいと思っていました」と口にしたのも、リップサービス抜きの本音だろう。

 

ついに手にしたダービートレーナーの栄誉。

 

「何というか…言葉で表現できません。ダービーは別格ですね。辞めてもいいくらいです」
残り2年弱となった調教師生活を終わらせてもいい、とまで情熱を注ぎ込んだダービー。
トレーナーのガラガラにかれた声と放心したような表情は、見事に集大成を飾ったホースマンの
喜びを表していた。



→ http://race.sanspo.com/keiba/news/20140601/pog14060117330011-n1.html





[橋口弘次郎調教師のいい話]



今回のダービーは、惜敗続きでダービーを逃し続けた橋口弘次郎師に、
よかったですね、おめでとうございます。と、声をかけたいですね。
地方競馬の騎手・厩務員出身です。叩き上げでしょうか。
1989年・天皇賞(秋)
愛馬レッツゴーターキンに騎乗させたのが、大崎昭一
今ではJRAの抑止力のための見せしめ、スケープゴートにされた、というのが大方の見解と
なっている新潟における処分(特定のファンに情報を流したとして、騎乗停止処分を受けた)
以来、石もて追われるようにして、地元関東のレースに乗るチャンスを逃していきました。
そうした理不尽な処遇を見かねた栗東の調教師ら数人が発起人となって、「大崎昭一に1000勝を
させる会」を設立し、大崎騎手をバックアップ。
1000勝すれば、ほぼ無条件で調教師の地位が保証されます。
気持ちこそあっても関東の厩舎人にはない侠気でした。
そして、トウカイテイオーダイタクヘリオスなどの実力馬を相手に、人気はなけれど
大崎昭一騎手のベテランらしい判断で、後方一気の策が功を奏して、見事、天皇賞を制しました。
これが橋口弘次郎師の初G1勝利です。
表彰式での橋口師の目が赤かったことは、言うまでもありません。