文化大革命か?大躍進か?

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反腐敗と反浪費 絶対的指導者への追随始めた習主席
「政敵粛清の口実」との指摘も



12月21日午前7時30分、北京中心部の天安門広場−。毛沢東の遺体が安置されている毛主席記念堂では、
開門30分前にもかかわらず、すでに200人あまりの人々が列を作っていた。
外国人観光客も数人見かけるが、ほとんどが中高年の中国人。大方は地方のお上りさんらしい。



記念堂の関係者によると、1977年にオープンして以来、すでに延べ2億人以上が訪れた。
「亡くなってからもうすぐ40年。こんなに人民に愛された指導者は、世界広しといえども毛主席しかいない」
とこの関係者は自慢げに語った。

 


安徽省黄山市から来た農民、何昌熊氏(50)は、北京の大学に通う長男と一緒に行列の後ろに立っていた。
「生まれて初めて北京に来ました。ここで毛主席に会って、帰ったら村のみんなに自慢したい」と話し、
こう声を強めた。

 

「この国には汚職官僚が多すぎます。毛主席のような強いリーダーがほしい」

 

親子が毛主席記念堂を訪れる理由はもう一つあった。故宮博物院万里の長城など北京の名所見物には、2人分の
交通費と入場料で200元(約3400円)近くかかる。郷里では家族4人の2週間分の生活費に相当するため
とても払えない。「いろいろ探しましたが、北京の有名な場所で無料なのは毛主席記念堂だけなのです」と笑った。



北京の人権活動家は最近の毛沢東ブームについてこのように解釈している。
「拝金主義が広がる今の中国は金持ちの天国だが、貧しい人たちにとっては地獄だ。不公平さを毎日味わっている
弱者は、貧富の差がなかった毛沢東時代を懐かしんでいる」

 

昨年秋、共産党総書記となった習近平国家主席はこうした弱者たちの支持獲得を意識し、毛沢東時代の多くの
やり方を復活させている。最も注目されたのは、毛沢東が建国直後の50年代に始めた政治運動をまねし、反腐敗、
反浪費のキャンペーンを全国で展開したことだ。党の規律検査部門を使って、たった1年で閣僚級約20人、
局長級では100人以上の高官を拘束した。

 

失脚した高官に習主席と同じエリート2世(いわゆる「太子党」)はいないという。腐敗撲滅に名を借りた
「政敵の粛清だ」との指摘はあるものの、貧しい人々の間では「腐敗問題に本気で対応してくれた」として
支持する声が多い。

 

習主席が推進する節約キャンペーンでは、毛沢東時代のスローガンを使って「野菜の切れ端は漬物に、残った飯は
チャーハンに」との指示が、なんと人民解放軍の全部隊に通達された。

 

「こんな主婦の生活の知恵のようなものは党中央の言うことではない」と国内メディアの関係者には嘲笑されたが、
一般庶民の間では「指示が具体的でわかりやすい」と意外にも評判は悪くない。



日本と対立した尖閣諸島沖縄県石垣市)をめぐっても、習政権は冷戦時代さながらの強硬姿勢を貫く。
改革派の国際関係学者らが「国際環境を悪化させる愚かな行為」と批判する一方で、強いリーダーを期待する若者
たちは喝采を送る。

 

ある共産党古参幹部は習主席の毛沢東路線回帰の理由について、「習氏は不正官僚や金持ちに対する労働者、農民の
不満を利用して政治運動を展開し、自らの求心力を高めることをもくろんでいる」と分析した上で、こう付け加えた。

 


文化大革命時代に青春を過ごした習氏は毛沢東のような絶対的なリーダーになりたいという個人的な願望もあるの
かもしれない」



→ http://sankei.jp.msn.com/world/news/131225/chn13122513530003-n1.htm



南チョン同様、チャンコロも不気味な様相を呈してきました。
毛沢東主義の復活! だそ〜です。
強く逞しく正義の味方を貫き、農民や労働者の側に立ち、国民の
生活向上に腐心を砕き、不正はこれは絶対に許さない…。
そんなリーダーを求めているようです。
学校では勿論、大躍進の失政により権力から滑り落ちた毛沢東
捲土重来を期して内戦に挑んだのが文化大革命です。
人民が何千万死のうが、自らの権力に固執した政治家でもあります。
シナでは、文化大革命を知らない人が多くなりました。
毛沢東の真の人物像を知ろうとしても無理でしょう。
困るのは毛沢東の陰の部分を知らずに、崇拝することですね。
文化大革命時代に青春を過ごした習氏は毛沢東のような絶対的な
>リーダーになりたい
なりたきゃなってください。



文化大革命
1965年に毛沢東が自らの復権などを目的に始め、以後約10年間続いた権力闘争。
修正主義・市場解放勢力の反動に対する修正運動となっているが、実体は、
大躍進政策の大失敗により2000万以上(2000万〜4300万と言われる)の餓死者
を出し、国家主席を辞任せざるを得なかった毛沢東が、権力回復の為に起こした
政治闘争である。
この間、中国は混乱と混迷を極め、内戦状態の様相を呈した。地方でも多くの
人間が反動分子として処刑され、その犠牲者は最も控えめな説でも2000万人
といわれているが、実際の数ははっきりしない。
大躍進政策での失敗による犠牲者も含むと、総計7000万人に達するという推計
もある。


→ http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CA%B8%B2%BD%C2%E7%B3%D7%CC%BF