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「本来あって欲しかった歴史こそが”正しい歴史”」
文在寅政権を取り巻く”進歩的な歴史観”とは


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対話を持ち出しながらも、一貫して輸出規制撤回を求め、対日強硬姿勢
を崩さない文在寅政権。その一方、文在寅大統領の側近で、法相に内定
していたチョ・グク氏が自身の娘を不正に大学に入学させたという疑惑
が持ち上がり、27日には一斉捜索が行われると、同日夜にはチョ氏の不
正に抗議する市民集会も開かれ、文大統領の不支持率は初めて50%を超
えた。


「積弊清算」という信条を掲げ、慰安婦財団解散や徴用工判決の放置の
見直しといった「親日清算」、そして米国と距離を置き、対北融和策を
進める「民族独立」、そして27日にエコカー部品工場の式典に出席し
「我が国の経済は我々で守るしかない」と訴えるなど、「経済自立」の
三本柱を中心に据え、自らの政治を推し進める文大統領。

 
28日放送のAbemaTV『AbemaPrime』に出演した同志社大学の浅羽祐樹
教授は「文大統領は果たして政治家なのか、それとも依然として弁護士、
アクティビストのままのつもりなのか、ということだ。経済的な問題を
争う弁護士であれば、“ここを取る代わりにそれは譲る“と折り合える部
分もあるが、文大統領は原理原則に関わる問題に関わってきた人権弁護
士だったので、0か100かというマインドセットのまま国政の最高指導者
になった。政治というのは、時に国全体のことを考えて51対49で妥協せ
ざるを得ないこともあるし、限られた財源の中で政策にプライオリティ
をつけたり、救える人と救えない人の線引きをせざるを得なかったりす
ることもある。そういうことをするのが政治家だとすれば、変身を遂げ
られないのは厄介だ」と話す。

 
また、その歴史観については、「韓国の独特の“正しい歴史“だ。つまり、
本来あって欲しかった、あって然るべきだったこと。日本の植民地支配
から自力で回復した、1919年の三・一運動で独立した、解放軍で独立を
勝ち取った、朝鮮半島が分断にならなかった…というのが正しい歴史だと。
現実はそれとは違うことが起きているが、現実で起きたことが間違った
歴史。1948年に大韓民国政府が樹立されて、日本の植民地統治期に日本
の統治に協力した“親日派“を清算すべきだったのが、できなかった。そ
れから70年経って、遅ればせながら、本当の進歩派である我々が政権を
取ったので、いよいよ過去の保守派の誤った清算を正す、それこそが歴
史の進歩なんだという、独特の歴史観だ。違和感を覚えるとは思うが、
良くも悪くもそういう歴史観を持っている人が国の方針を定めていて、
日韓関係にそのまま跳ね返っているので、そこをまずは内在的に知るし
かない」

 
さらに、「1965年の日韓国交正常化の際、一体、何を約束したのか、
約束しきれなかったのか。韓国は不十分な部分があったので、より
“正義“に見合った合意に何度も改正していくのが進歩なんだという、
そういう考え方だ。日本としても慰安婦の問題などで漏れた部分があ
ると考え、90年代には村山談話アジア女性基金の設立などに努力し
たし、2015年の日韓慰安婦合意でも再び努力した。にもかかわらず、
それが反故にされた。日本としては、とてもではないが徴用工問題
という別の案件で日本側がもう一度アクションとるというのは、日
本国内の政治的な状況が許さない」と説明した。


以下(略)


headlines.yahoo.co.jp


チョウセンジンにとって、正史は見るも無惨で、民族感情を台無しにして
しまいます。 万年属国・奴隷だもんね。
そういう正史を見ないで、私たちの歴史はこうだったらいいなぁ、がその
まま正史として教えられているから、隣国はたまりませんwwwww
「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たち
は、見たいと欲する現実しか見ていない」
は、ユリウス・カエサルの名言ですが、チョウセンジンのためにあるよう
な言葉のような気がします。


ソウルの町並みと悪臭[編集]

朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)

朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫)

バードは本書の中で、1894年の訪問時のソウルに関して、道は牛が
すれ違えないほど細く迷路のようであり、家から出た汚物によって
悪臭が酷く、北京を見るまで「ソウルこそこの世で一番不潔な町」
だとし、「紹興へ行くまではソウルの悪臭こそこの世で一番ひどい
においだ」「都会であり首都であるにしては、そのお粗末さは実に
形容しがたい」と記している[2]。また、人工の道や橋も少なく、
「あっても夏には土埃が厚くて、冬にはぬかるみ、ならしてない場
合はでこぼこの地面と、突き出た岩の上をわだちが通っている。
道と言っても獣や人間の通行でどうやら識別可能な程度についた通
路に過ぎない」と記している[3]。


また、ソウルには芸術品はまったくなく、古代の遺跡もわずかで、
公園もなければ、まれな例外を除けば見るべきイベントも劇場もな
く、旧跡も図書館も文献もなく、宗教におよそ無関心であったため
寺院もなく、迷信が影響力をもつため墓地もない、と驚き、孔子廟
と碑を除くと公認の寺院がひとつもなく、城内に僧侶が入ると死刑
に処せられかねないため、清や日本ならどんなみすぼらしい町にで
もある堂々とした宗教建築物の与える迫力がソウルにはないとして
いる[4]。他方、金剛山長安寺では「天国にいるような心地の二日
間」を過ごすことができたと賞賛している[5][6]。
貨幣・通貨の流通については、銀行が町にないと記しており、また
日本の円がソウルと条約港で通用したことを記している[7]。


"寒流"の真実!! 国民は皆乞食だったに過ぎません。
THE FACT!!

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