日刊競馬 柏木集保氏の桜花賞回顧

競馬


あまりにも特殊なレース
総括の難しい桜花賞である。ただただ反省し、なんとかこのあとに結び
つけなければならないことが山のようにあるが、振り返ってみるに、あまり
にも特殊なレースだった。



レースは前半「50秒0」、後半「46秒0」=1分36秒0。1000m通過62秒5だった。
桜花賞が距離1600mになったのは1947年。68年も前である。現代にも通用する
正確な時計やレースラップが発表されるようになったのは、半世紀ほど前の
1960年前後からのことである。それ以前は時計も5分の1秒単位だった。



したがって、レース史上もっとも遅い1947年の「1分42秒2/5」当時の記録の
中身は推測するしかないが、ほかに1分40秒台-41秒台で決着した年のレース
ラップや、1981年、水田のような馬場をブロケードが制した史上2番目に遅い
レースでさえ、前後半「48秒1-53秒2」=1分41秒3であることから推測するに、
今回の、調教並みの前半「800m通過50秒0→1000m62秒5…」は、1600mの桜花賞
の歴史69回、飛び抜けて遅い。ふつうは、どんなに遅くても1000m通過59秒台である。

 


正確な記録が残る中では、桜花賞史上「もっとも緩いペース」である。
ところが、現代の整備された芝コースだから、後半は「46秒0-33秒5」。
つじつまは合ったが、なんと生じた前後半の差は「4秒0」。信じがたいバランス
になった。前半1000m通過62秒5は、今年の阪神大賞典3000mより2秒1も遅い。
それが、マイルのG1桜花賞だからとらえ方が難しい。

 


もちろん、快勝したレッツゴードンキ(父キングカメハメハ)の評価はいささかも
低くなるものではないが、これはパート1国日本で行われた国際G1の、頂点の
クラシックである。勝ったレッツゴードンキのレーティングは、いかにおまけしても
103程度にとどまるはずであり、2着以下は、レーティングの数値にはとても相当しない
2ケタだろう。勝ったレッツゴードンキ以外は、自分たちでその原因を作ったとはいえ、
「壊れてしまった」レースであり、みんな最後は余力十分だから、2着クルミナルと、
18着クールホタルビさえ1秒の差もなかった。
芝ではめったに先行しない岩田騎手に、ペースについて語られるようでは、ほかの陣営
のうつろはやむをえない。

 


長い歴史の中では、たまにはこういうこともある。こればっかりは仕方がない。
笑って済ませたい。でも、天気は回復してくれた。ルージュバックや、ココロノアイ
桜花賞を楽しみにしていたファンは、(黙ってはいても)きっと悲しいはずである。むなしかった。