植村隆元朝日記者
「捏造でないことが証明されれば、有名記者になる」
ソウルで記者会見
元朝日新聞記者で慰安婦報道に関わった北星学園大(札幌市)の非常勤講師、植村隆氏が13日、
ソウル市内で記者会見し「私は捏造記者ではない。不当なバッシングには絶対に屈しない」と
あらためて強調した。
植村氏の会見は、韓国政府系機関の東北アジア歴史財団の会議室で行われた。
植村氏は、自らが1991年に書いた記事で、当時韓国で慰安婦の意味で使われていた「挺身隊」
という表現を使ったことが「日本国内で『ねつ造だ』などと批判を受けてきた」と主張。
「当時、他のメディアも同様の表現を使っていたにも関わらず、私だけが標的とされた」とし、
「日本の異常なジャーナリズムの状況」として批判した。
自らの報道への批判をめぐり、名誉毀損の訴訟を起こした植村氏は「(自分の記事が)ねつ造でない
ことが証明されれば、(自分は)ひとりの有名な記者になる」と述べた。
さらに「こんな些細なことで騒ぐことは慰安婦に対する冒涜であり、慰安婦の尊厳のためにも負け
られない」とも語った。
→ http://www.sankei.com/world/news/150813/wor1508130026-n1.html
https://www.youtube.com/watch?v=waRuGtv4HEo:movie,w600
そもそも朝日新聞自体が、「従軍慰安婦の存在」をめぐる吉田清治
と植村隆の記事は捏造と認めて、社長が謝罪会見をして、紙面でも
大きく捏造に至ったの検証記事を載せたではないか。
おまけに朝日新聞記者が済州島や韓国国内で、女性の強制連行は
あったかと当時を知る人にインタビューをして回ったところ、
誰も強制連行があったとは証言していません。
それどころか、もし強制連行があったら絶対に体を張って阻止して
いた、とのことでしたよね。
もう自らの妄想に寄って立つしか、自我が保てないようですね。
日本国と日本国民の顔に泥を塗り、バ韓国に日本批判の種を播いた
その責任は大きく、国家侮辱罪があれば間違いなく終身刑でしょう。
北の大地にも居られなくなって、とうとうバ韓国へ逃亡したよう
ですね。 逃げるなよ、コラッ!
1991年(平成3年)8月11日、朝日新聞にて大阪社会部時代の植村は「思い出すと今も涙 元朝鮮人
従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、金学順が韓国挺身隊問題対策協議会に元慰
安婦として初めて証言した録音テープを聞きその記事を書いた。
金学順が日本政府を提訴後の12月25日には、本人を直接取材した記事を出した。
これらは、聞き取りに関しては義母の梁順任から便宜を図ってもらったのではないか、記事に関して
は金学順がキーセン学校に通っていたことが伏されていることから、故意に隠して強制連行された
ように書いたのではないか、慰安婦と挺身隊を混同しているのではないか、と批判されている。
これらの点は1992年(平成4年)から有識者により疑問が呈されていた。特に慰安婦と勤労動員に
よって工場などで働いた女子挺身隊との混同が「戦場に連行」という強制連行を連想する表現とが
後に問題化し「捏造ではないか」と疑問視されるに至った。こうした中で朝日新聞は長らく記事訂正
を行ってこなかったが、記事の掲載から23年後の2014年8月5日、記事の一部に誤用(挺身隊と慰安婦
の混同)があったとする旨の検証記事を掲載した。訂正の遅れについて、朝日新聞上にコラムを持って
いた池上彰は同検証記事において「朝日新聞は93年以降、両者(慰安婦と女子挺身隊)を混同しない
よう努めてきた」とも書いています。ということは、93年時点で混同に気づいていたということです。
その時点で、どうして訂正を出さなかったのか。それについての検証もありません。」と述べ、訂正が
遅きに失したこと、訂正するのであれば謝罪もするべきではないかと書いている。
なお、このコラムについて、朝日新聞は当初掲載を見送っていたが、社内での検討や池上との話し合い
の結果、掲載するに至っている。池上は朝日新聞が当初の掲載見合わせという判断の誤りを認めたため
掲載認めた。 この訂正の遅れにより慰安婦問題は国際問題化していったとも指摘されており、朝日新聞
社第三者委員会も、挺身隊と慰安婦を混同する誤報(植村記事も混同と釈明)を吉田清治の捏造証言
よりも国際社会に与えた影響が大きいと批判している。
仙台支局時代に結婚したが離婚。現在の妻は1990年(平成2年)に韓国取材中に出会った
当時太平洋戦争犠牲者遺族会幹部梁順任の娘であり、周囲の反対を押し切って1991年
(平成3年)に結婚した。妻女の母、梁順任(ヤンスニム、양순임)は同団体会長であり、
日本から補償費金を受け取るとし訴訟参加人を募集、その訴訟費用を詐取した件で韓国
国内で摘発・立件されていることで知られている。(2014年2月、証拠不十分で無罪。)