生死を分けた自主避難 勧告待たず離脱後、
指定場所に土石流
台風12号の豪雨で30人が死亡・行方不明となった和歌山県那智勝浦町。
町内でも最も被害が大きかった那智川沿いの井関地区では、町からの避難勧告や避難指示が出る
前に約25人の住民が自主的に指定避難場所から移動し、九死に一生を得ていたことが分かった。
住民の連携と臨機応変な判断が、生死を分けた。
一方、平成21年8月に発生し20人が死亡・行方不明となった兵庫県佐用町の豪雨災害では、
町の避難勧告に従って避難を始めた一部の住民が、濁流にのまれて犠牲となっており、避難の
あり方が問われている。
那智勝浦町によると、同地区では、町立井関保育所を災害時の緊急避難場所に指定。
那智川上流は過去の台風でも大きな被害はなく、今回も当初は大幅な増水がなかったことから、
避難指示の発令を見送っていたが、周辺住民約25人は3日午後8時ごろから自主的に保育所
に避難していた。
しかし、4日午前0時すぎから短時間のうちに川の水位が上昇。
道路にも水があふれてきたため、地区ごとにつくる自主防災組織担当の住民らが、保育所から
川沿い約1.5キロ北西の、より高台にある町立市野々小学校に避難することを決断。
町に連絡を入れたうえで、足が不自由な高齢者らをかばいながら、声を掛け合って複数の車に分乗し、
小学校へ向かった。
氾濫した道路を、迂回(うかい)しながら小学校へ到着。
その後、土石流は川沿いの集落とともに保育所も襲い、平屋建ての建物は、壊滅的な被害を受けた。
町が同地区に避難指示を出したのは避難完了後の午前2時12分。
小学校も1階は土砂に埋まったが住民は3階に避難し無事だった。
2人の住民を車に乗せて避難したという穂波宣仁(のりひと)さん(66)は「まさか(避難場所の)
保育所まで被害が及ぶとは思わなかった。危険な状態での移動だったが、あのままもう少しいたら流
されていた」と振り返る。
町によると、住民からの連絡で最終的に井関地区には避難指示を出したが、さらに上流で死者、
行方不明者が出た市野々地区には避難勧告も指示も出していない。
町の防災担当者は「町でも地区の状況が把握できなかった。避難指示を出す前に移動し助かったのは、
住民が『自分の命は自分で守る』という意識を持っていたからだと思う」と話した。
→ http://sankei.jp.msn.com/life/news/110906/trd11090614180011-n1.htm
そうですね、やはり『自分の命は自分で守る』心構えは必要不可欠ですね。
用心に越したことはありません。
水位の上昇、土砂崩れの可能性、など危険を感じたら安全な場所に避難
することが大切ですね。