長野からの手紙

競馬


林 則徐 様『徒然草



『私的長野報告』


→ http://victoria.iza.ne.jp/blog/entry/560826/


先ずは、「長野行き」から5日も経ってから、ようやく顛末記を書く怠慢をお許し下さい。
ご承知の通り、大陸中國は今週末から「大型連休」に入るため、大陸のメーカーや
代理店との連絡は4月中に済ませておかなければならず、仕事に忙殺されてブログの
更新もままなりませんでした。


さて、私が4月26日の午前6時過ぎに東京駅の新幹線改札口に着いたとき、「広尾」で
見かけたことのある男性がそこに立っていました。
私は「彼」と目を合わさないように自動改札を通り抜けましたが、彼が「何かの紙を綴じ込んだ」
バインダーらしきものを手にしていたことは確認できました。

私が乗り込んだ車廂は、そのおよそ3分の1が華人で占められていました。
その「華人エリア」の最も端、デッキへの出入り口の脇の座席には、「國威発揚示威行動」
にはしゃぐ若者たちとは明らかに異なった雰囲気の、ジャージ姿(藍色ではありませんでしたが)
の四十代とみられる男性が一人座っていました。
私が日本語で「すいません、お手洗いはどちらですか?」と尋ねても、彼は肩をすくめて
かぶりを振るだけでした。私は、彼が「大陸からよこされた『監視役』」だと確信しました。

あさま号が大宮駅を発車した午前7時過ぎ、何故か「駅弁」と一緒に「五星紅旗」が配られました。
私が受け取った文書では、「中日両國の國旗」と「奥運(オリンピック)旗」を持って応援…
と書かれていたのに、これでは話が違います。
極力怪しまれないように、「(五輪旗はありますか)?」と聞いたところ、
答えは「没有(ない)!」の一言でした。
「(なぜ)?」と問い直しそうになりましたが、これ以上問い質すのは不審がられるだけだと考え、
黙って五星紅旗を手にしました。

次に、主宰者(の代理人と思われる人物)の「 」という挨拶と共に、一枚の紙が配られました。
そこには今日一日の行動予定表と共に、参加者への注意事項が細かく記されていました。

曰く:
「(参加者は全て指示されたとおりに行動すること、自由行動禁止)」
「(参加者は全員同一行動をとること、途中下車や、物見遊山などの個人行動禁止)」
そして、太字とアンダーラインで、
「(日本の法律と規則を必ず守ってください)」
と書かれていました。

主宰者側の人物は、特にビザの在留資格が「就学」や「投資・経営」になっている人は、
その國内活動に制限があるため、くれぐれも『警察沙汰』にならないように注意しろと
くどいほど繰り返していました。

そして午前8時過ぎに、私達を乗せたあさま号長野駅に到着したのです。

【この項 続きます】



『私的長野報告 弐』


→ http://victoria.iza.ne.jp/blog/entry/566948/


私たちが長野駅から乗り込んだ公車(バス)は、車内の散らかり方から、けさ方東京から
學生達を運んできた車両と思われました。

私たちは、そのバスで市内の辻々に運ばれました。(細かい行先は御容赦下さい)

私も手に「五星紅旗」を持たされて沿道に立ちました。

私の入ったグループは、私の他はみな所謂「ニュー・カマー」の若い華人達で、
言葉にかすかに訛りがありましたが、華北あたりの出身のように思われました。
彼らは関東の大學への留學生で、「全日本中国留学生学友会」の誘いで参加したのだそうです。
「『自愿参加(自主参加)』したの?」という私の問いに、彼らは異口同音に
「当然(Dāngrán)!」と答えました。
その整った口調に私は軽い違和感を覚えました。
學生達をとりまとめていた小姐が
「集合場所では、バスに乗れなかった人もいたんですよ。これこそ中華民族的空前凝聚力です!」
と熱く語ってくれました。

彼らはみな、國費で日本に留學している學生です。
肉親を大陸に残し、留學期間を終えれば大陸に戻る彼らにとっては、中央政府の意向は
絶対であり、それに逆らうことなどは考えられないことなのでしょう。

それは私とて同様なのかもしれません。
彼らの心の奥底を窺い知ろうとすることは、彼らも、私をも窮地に追い込むだけなのでしょう。
私は彼らにそれ以上思想的な質問を続けることは止めて、無難な學校の話題などで
お茶を濁すことにしました。

それにしても、危惧していた「聖火リレー反対派」の姿が一人も見あたりません。
いえ、正確には「観客」の姿すらもほとんどないのです。
観客のいない聖火リレーなんて、こんな奇妙な風景は見たことがありません。

そんな「不気味な調和」の中を、聖火を手にしたランナー(正確にはそれを取り囲んだ屈強な男達の集団)が
あっという間に通り過ぎて行きました。
伴走するTVクルーは、全く周囲の光景を撮影しようとはしていませんでした。

聖火が通過した後、私たちはすぐさま再びバスに乗せられ、終点の若里公園
(この地名は出しても大丈夫でしょう)に向かいました。

公園内はまるで国慶節の天安門広場と見紛うばかりに五星紅旗で埋め尽くされていました。
私は(ここは本当に日本國内なのか?)と自分の目を疑うほどでした。

そんな会場で聖火の到着を待つうち、雨が降り始めました。
すると、どこからか用意良く「ビニールの100円傘」が配られ始めたのです。
勿論私もその「おこぼれ」に与りましたが、
その時、ステージ脇の警察官が集合しているエリアの中に、
「南麻布の人間」と親しげに談笑している「背広姿の男性」の姿を見つけました。
警察官の群れの中にいる背広組ということは、おそらく警察本部に所属する人物なのでしょう。
その人物が「南麻布」の人物と親しくしているということは…

私はこの「出来レース」が大使館(=中央政府)と、県警本部のかなり高いレベルであらかじめ
綿密に調整された結果であったのだと確信しました。

【お断り】
本来なら、この『決定的瞬間』をカメラに納めて公開したかったのですが、そのような撮影を
咎められた場合のことを怖れて、シャッターを押せませんでした。
小心者をどうぞお許し下さい。



※文字化け箇所は割愛しています。
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