それでも韓国人経営の店で食べますか?

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ソウルの高級ホテルの中で営業していた日本資本の日本レストラン。
そこの日本人板長の帰国日程が決まってからのことだ。
2人で飲んでいると、彼が聞かせてくれた。

 

「本当に苦労しましたよ。何がって、店に入りユニホームに着替えたら、
必ず手を洗え。手の洗い方は…とね。これを完璧に実行させるまでに1年
かかりましたよ」

 


2年か3年か、その店は「一人前に育った韓国人板長」が取り仕切って
いたが、他の店にスカウトされ、彼が再びソウルに赴任してきた。

 


「驚きましたよ。何がって、あれだけ厳しく『まず手を洗え』と教えたのに、
完璧に忘れられていたのですから」

 


これは私が時事通信社のソウル特派員だった1980年代、つまり四半世紀
以上も前の話だ。

 


「食」に関して、当時のことを思い出すと、いろいろある。

 


どうにも忘れられないのは、支局の近くにある冷麺店でのことだ。

 


注文を受け、ゆで上がり冷やした麺がステンレス製の丼に入れられ、ゆで卵、
青い野菜類、時にはトマトといった具が盛られると、その丼が配膳用のカウ
ンターに出てくる。すると、お姉さんが水色の大きなポリバケツから、大きな
ヒシャクでスープをすくい、冷麺にかける。そして客の所に持ってくる。

 


冷麺を食べていると、お姉さんが大きなヒシャクでスープをすくったかと
思うと、自らゴクゴク。ヒシャクをそのままバケツに戻し、次のステンレス丼
が調理場から上がってくると、再び大きなヒシャクで…。

 


間違ってはいけない。お姉さんは、客に隠れてゴクゴクしたのではない。
大勢の客がいる前で「堂々と」だ。

 


日本人からすると、信じられないことだろうが、ディス・イズ・コリアなのだ。

 


純朴なお姉さんは、それが悪いことだとは考えてもいないから、客の前でゴクゴク
であり、客はそれを見ても何とも思わないから、再びその店に来る。私も再び言う。
「ディス・イズ・コリアなのだ」と。

 


私はそれからも、その店に頻繁に通った。支局の近くにあるし、うまいから。
最低でも、その程度の“鈍感さ”がないと、ある外国に関して真実に近い情報は
集まらないのではないだろうか。

 


「とは言っても、それは四半世紀以上も前の話でしょ」との指摘も出よう。
しかし、つい最近、韓国を訪問したウオッチャーから「従業員が、自分が食っていた
飯の残りをジャーに入れて混ぜると、そこから飯を盛って持ってきた。変わっていま
せんね」との話を聞いた。

 


わが国の外交官は、そうした店で飯を食えるだろうか。



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