デモ&テロ>>>議会制民主主義

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朝日新聞の危ない主張



天声人語(H27.7.12)



日が落ちれば少しは涼しくなるだろうという目算は外れた。
国会正門前の熱気はただごとではなく、汗が噴き出す。
一昨日の午後7時半。安保関連法案に反対する大規模な抗議行動が始まった



▼催したのは都内の大学生らによる「SEALDs(シールズ)」だ。
日本語では「自由と民主主義のための学生緊急行動」。
会場の歩道を埋め尽くす顔には高齢者も子連れの家族も。
「若者がんばれじゃなくて、全世代で集まれよ!」。彼らの呼びかけ通りの壮観である




▼「勝手に決めるな。憲法守れ」。激しいコールが国権の最高機関の堅牢な建築に
こだまする。法案は憲法違反と多くの専門家が指摘しても、政権与党は耳を貸さず、
近く採決の構えを見せる。抗議行動への参加者は増え続ける




▼勝手に決めるな。それは、決めるのは私たち、主権者は私たちだという叫びである。
投票だけが国民の仕事ではない。時の政権に常に目を光らせ、必要なら声を上げる。
その声を軽んじる現政権に対し、「国民なめんな」のコールが起こるのは当然だろう




▼哲学者の柄谷行人(からたにこうじん)さんは以前、3・11後の反原発デモに触れ、
「人がデモをする社会」という文章を書いた。
人々が主権者である社会は、
選挙によってではなく、
デモによってもたらされる、
と。

その流れは枯れることなく今に続く




▼国会前に立ちながら、目配せという言葉をふと思い浮かべた。
「危ないね」という思いを伝え合う、それぞれの目配せ。
このさりげない連帯は強まりこそすれ、と感じる。





天声人語(H27.7.14)



クーデターという不穏な言葉がある。
フランス語で、直訳すれば「国家に対する一撃」。
文献によれば、国の支配層のある部分が、
ライバルなどから権力を奪取する
ための非合法的な奇襲をいう。
多くの場合、武力が使われる




▼軍隊は出てこなくても、これは一種のクーデターではないのかという批判がある。
集団的自衛権を行使できるとした安倍政権の閣議決定のことである。
最近では憲法学者石川健治・東大教授が、雑誌「世界」で語っている




集団的自衛権憲法9条の下では行使できないとしてきたこれまでの政府見解を、
百八十度ひっくり返す。国民に問うこともなく、あっさりと。
これは「法秩序の連続性の破壊」であり、
法学的にはクーデターだった、と。

事の本質を突いているのではないか




▼きのう、安保関連法案を扱う衆院委員会で中央公聴会があった。
両論あったが、法案の本質的な危うさはここでも指摘された。
例えば、やはり憲法学者の木村草太(そうた)・首都大学東京准教授は、
「法の支配そのものの危機」に注意を促した




▼どんな場合に集団的自衛権を使えるのか。「わが国の存立の危機」だと政府は言うが、
定義は実に曖昧(あいまい)だ。武力行使するしないの判断を法によらず、政府に白紙
で一任するようなものと非を鳴らした




▼議論は熟していない。憲法学者は反対するが、国際法学者には賛成も多いと首相は言う。
色々な専門家の声を聞くことに異論はない。どんどん国会に招けばいい。
むろん採決の前に、である。



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