どこが軍国主義なんだ?

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教育勅語原本確認 「父母への孝行」
「友情」「夫婦の和」…再評価の声



半世紀ぶりに所在が確認された「教育ニ関スル勅語」(教育勅語)の原本。
戦後は学校現場から排除され、“軍国主義教育の象徴”というイメージが独り歩きするようになった
教育勅語だが、近年、いじめなど道徳の荒廃が問題となる中で、その内容を再評価する声も高まっている。



「(教育勅語には)至極まっとうなことが書かれており、当時、英語などに翻訳されて他国が参考にした
事例もある。ただしその後、軍国主義教育の推進の象徴のように使われたことが問題だ」

 

下村博文文科相は8日、教育勅語の原本が確認されたことと絡めてこう述べ、内容そのものには問題が
ないとの認識を示した。

 

明治23(1890)年に発布された教育勅語で示されたのは、(1)父母への孝行(2)兄弟姉妹の友愛
(3)夫婦の和(4)友達の信(5)謙遜(6)博愛(7)修学習業(勉学に励み職業を身につける)
(8)智能啓発(知識を養い才能を伸ばす)(9)徳器成就(人格の向上)(10)公益世務(世の中の
ためになる仕事に励む)(11)遵法(じゅんぽう)(12)義勇(国難に際しては国のために尽くす)
−の12の徳目。

 

翌24(1891)年から謄本が全国の小学校に配布され、修身(道徳教育)の根本規範とされたが、
戦後は連合国軍総司令部(GHQ)の圧力などで学校現場から排除された。



ただ、戦後教育史が専門の貝塚茂樹・武蔵野大教授によれば、当時、GHQの中にも教育勅語の内容を評価
する声があり、GHQ民間情報教育局を中心に、昭和天皇による新しい教育勅語を発布することも検討されて
いたという。

 

教育勅語には万国共通の普遍的な価値が示されている。結局、天皇に否定的なGHQ民政局の圧力で排除され、
軍国主義教育の象徴”とみられるようになったが、戦後はその内容についてほとんど検証されることはなかった。
いわば問答無用で教育勅語が否定されるとともに、道徳教育そのものも敬遠され、それが学校教育の荒廃につな
がっているとみる意見もある」と、貝塚教授は指摘する。

 

いじめや校内暴力、不登校などが問題となる中、教育勅語に示された徳目の意義は小さくない。

 

文科省幹部の一人は「半世紀ぶりに原本の所在が確認されたことを機に、意義や内容についての検証が進み、
今後の道徳教育のあり方を考える一助になれば」と話している。



→ http://sankei.jp.msn.com/life/news/140409/edc14040912440004-n1.htm




公開された教育勅語原本=7日午後、文科省



補足:【教育勅語の口語文訳】 



私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、
日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、
全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて
参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、
私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。



国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、
夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、
全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、
さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、
非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。
そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、
今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。



このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、
この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、
間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、
立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

〜国民道徳協会訳文による〜

引用元 明治神宮
http://www.meijijingu.or.jp/about/3-4.html



見事なまでの道徳文書。人としての徳目の全てが網羅されて
いると言っても過言ではあるまい。
この教育勅語こそ、児童・学生の皆が精神的支柱とすべく
学校教育の道徳の時間には必須のテキストとするために、
自民党文科省は推進していくべきですね。



→ http://military38.com/