小保方せんせ・・・

競馬

森毅は、晩年の湯川秀樹の人柄をしのばせるエピソードをいくつか紹介している。
最初のは森敦が森毅に教えてた話。



 
おそらく少人数を前にしての講義だったのだろう。
よくできる学生が、湯川が黒板で展開する数式に誤りを見つけた。
それを指摘すると、湯川はうーんとうなり、しばらく考えたが何ともすることができず、
立ち往生してしまった。
それから「ちょっと待っとき」と言って、ぷいと教室を出た湯川は、しばらくすると岡潔
(数学者)を連れて教室に戻ってきた。
「これなんやけど」
と湯川は岡に黒板の数式を示し、岡はすぐに
「ああ、湯川せんせ、ここが違いますわ。こうやなくて、こうでしょ」
と数式を直した。
湯川はしばらくそれを見つめて考えていたが、
「ああ、そうか。なるほどなあ。みんなも分かったか? 授業つづけるで。あ、岡君、ありがとうな」
ということが一度や二度ではなく結構あったのだそうだ。
呼ばれてやってくる岡も岡だが、呼びにいく湯川も湯川である。
 
 
 
晩年の湯川は、駆け出しの若手が初めてやる研究発表などにも、ひょっこり顔を出すことがよくあった。
顔を出すだけならまだよいが、いつも必ず質問をする。
質問するだけならまだよいが、それが決まって愚にもつかない質問なのである。
ノーベル物理学賞の大先達からの質問に、ルーキー物理学者はほとんどパニックに駆られるが、
しかも質問内容が目が点になるようなものなので、別の意味でも度肝を抜かれる。
何とかその質問に、おそらく会場の誰もが分かりきった答えを返すと、湯川ははっと気付いたように
「あかん、またやってしもた」
と頭を抱え、己が発した愚問に大いに落ち込むのである。

 

しかし湯川は止まらない。
そんなことも忘れたかのように、また研究発表に顔を出し、必ず質問し、それもほとんど必ず愚問なのである。
しかし愚問も、とことん数打つうちには当たる。
それも、当たりどころはとことん悪く、今度は発表者のみならず会場にいる誰もが気付かなかった大愚問だったりする。
会場の空気がざっと変わる。
的には当たらぬが、その土台をガツンと震わせる。
ちょっと待て、今のどうなんだ? もしかしてこうか? そんな馬鹿な話があるか。ああでもない、こうでもない。
場は騒然となり、侃侃諤諤の議論が巻き起こり、時には新しいアイデアだって生まれたりする。
 


座敷わらしがいる家が盛えるかのごとく、湯川が顔を出し愚問を発する会はいろんな意味で盛り上がるようになる。
 
 

もちろん「あんなに愚問を連発できるのはノーベル賞のおかげだ。これから学会で評価を求めなくてはならない
我々にできることではない。あんなズッコケは、もはや地位の揺らぎようがない湯川さんだからできるんだ」
という陰口がないではなかった。
しかし湯川が大家然として、ボロを出さないように振舞っていれば、彼の愚問が議論の土台を震わせ人々を活気付
けることだってなかっただろう。
ズッコケることができるのが特権なのであれば、そんな特権は使い倒してすり減らした方がみんな幸せになれる。
 
 

それに湯川は、そんな特権に守られて愚問を発していたのではない。
愚かなことをいうことは、どんな大家だろうと、知的プライドを傷つける。
質問の愚かさに気付けば、湯川だって嘆くし落ち込む。
悪く言えば、湯川にはピノキオのごとく自らの過ちを悔いても一時に留まり、同じ誤りを繰り返すことができる
才能があったのかもしれない。
良く言えば、自らの愚かしさに嘆くより速く、知りたいから尋ねてしまえることこそが湯川の才能だったのかも
しれない。
だからこそ岡潔だって、湯川に連れられ教室までやってきて、学生たちの前で大先生の誤りを指摘し修正してやる
ことができたのだろう。
 

 
愚かな問いを飽きずに発し、その度落ち込み打ちのめされて、いつか土台を震わせ自分ひとりをほんの少し幸せ
にできるくらいの特権は、我々の誰もが持ち合わせているのかもしれない、なんてのは言わなくていいまったく
の蛇足だ、恥ずかしい、忘れてくれ。
 
 
 
口直しにエピソードをもう一つ。
京都大学の食堂で湯川に出会った森毅が伝える話。
湯川は森にこう語ったという。
「なんや森君、君は輪廻を信じへんのか。そりゃ楽観論やで。わしは、生まれ変わって豚になる思うたら死んでも
死に切れん。・・・けどなあ、最近は豚になるんならなるで、それもええと思えるようになってきた。こういうの
をサトリいうんやろか?」
ちがいます、湯川せんせ。



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