はいはい歴史認識ね

競馬


「日韓は関係改善を」米、韓国に促す 
尹外相は日本の努力を要求



ケリー米国務長官は13日、韓国を訪問し、朴(パク)槿恵(クネ)大統領、尹(ユン)炳世(ビョンセ)
外相と会談した。会談後の記者会見でケリー長官は、4月末のオバマ米大統領のアジア歴訪に向け日韓が
歴史問題を克服し関係改善するよう韓国に促したことを明らかにした。
また、北朝鮮の挑発を抑止するため「日米韓3カ国の緊密な協力が重要だ」と述べた。



ケリー氏は「日韓が過去にとらわれず前に進むことが米国の国益にもかなう」と結束を訴えた。
これに対し、尹氏は「日本の指導者らの(歴史問題をめぐる)修正主義的な言動が続けば信頼が損なわれる。
歴史を直視すべきだ」と強調し、日韓関係改善には日本の努力が必要との考えを示した。

 

また、先月のハノイでの日朝接触の動きについても「(米韓への)事前協議なしに行われていたとすれば
好ましくない」と発言、日朝の動きに警戒感を示した。

 

一方、オバマ氏の日本滞在を1日短縮させる形で実現した訪韓を韓国メディアは「外交的勝利」と大きく報道。
韓国外務省報道官は13日の定例会見で、オバマ訪韓を歓迎する韓国政府の立場を表明した。



韓国内には、オバマ氏がこのタイミングで韓国を訪問しなければ、歴史認識問題で「米国は韓国より日本を
支持している」と映るとの懸念があった。

 

鄭(チョン)●原(ホンウォン)首相は今月6日の国会答弁でこうした懸念があることを認め、「そういう点
に留意し、訪韓に向け外交努力をしている」と述べていた。

 

韓国外務省報道官は、米韓首脳会談で日韓関係が議題にならないよう「日本の努力が必要」と指摘。
「韓日関係の行き詰まりの原因がどこにあり、誰がもたらしたのか。誰が解かねばならないのか」と主張した。


→ http://sankei.jp.msn.com/world/news/140213/kor14021323240003-n1.htm


日本が韓国にしてやった事



<<封建的諸制度、因習の廃止・禁止>>


身分制度とそれに伴う特権や差別の廃止 (身分制度廃止令は併合前だが、実際は後)

奴婢の解放 (人口の30%)

両班の特権廃止

女性の解放(名前を奨め、再婚を許可)

衣服の自由化、瓦屋根や二階建て以上の家屋の制限を撤廃

・因習の廃止

人身売買の禁止

宦官(睾丸の腐割)の禁止

纏足の禁止

少女を妓生とすることを禁止

呪術的医療の禁止(朝鮮巫術の禁止)

<<近代的経済法制の導入>>

私有財産の保障(所有権制度の整備)

・土地測量と地籍の確定 (墳墓など0.05%位が未申告地として残った)

・近代的企業制度と商法の確立

・通貨制度の整備

・度量衡の統一

<<近代的社会制度の導入>>

罪刑法定主義を徹底(私刑の禁止)

・残虐刑を廃止

・行政の単位をそれまでの一族から、家族(氏)に規定(これが創氏の目的)

・家長の権限を制限

・地方の行政長や議員の選挙による選出

<<教育・医療の近代化と普及>>

・小学校5,000校以上、大学など1000校以上を建設

・ハングルの整備と普及

・西洋医学や衛生思想の普及、疫病の防除と罹患者の隔離、医療施設の整備

<<社会基盤の整備>>

・道路、橋、鉄道(4000km)、港湾の整備、電源開発

・治水事業による耕地拡大と農業の近代化

・大規模な植林(6億本)

これらの諸政策の結果、次のよう成果があった。

・1920・30年代GDP平均成長率4%(1920年代の世界経済は2%以下、日本は3%強)

・1人当り国民所得が1910年の40ドルから倍増

・日本資本の大量流入(統治期間総額で80億ドル)による通信、運輸、都市の発達

・耕作地の拡大(246万町から449万町まで)

・米の反当り収穫量が0.5石から1.5石まで3倍増

・農産物、工業製品の輸出の急増 (内地で半島米の輸入反対運動が起こった程)

・人口が1300万人から2600万人に増加

・平均寿命が24歳から56歳に

識字率が61%を超えた(1944年時、併合時は4%程度と推定されている)



「韓国は日本人がつくった」 黄文雄著 より


先述したように、19世紀から20世紀初頭にかけての韓国は農村から都市ソウルまで、
あらゆる地域においてきわめて不衛生な生活環境であった。
今のハングル世代は常に韓国の山紫水明を誇りにし、韓国人はどこへ行っても生水が
飲める世界でも珍しく水のきれいな国だと自慢している。
しかし、日帝時代以前の韓国を見た外国人は、赤裸々に当時の実情を記録している。
例えば、ダレ神父の「朝鮮事情」には、韓国の「水はまずく」、水が原因でかかる
早老病をはじめ様々な、「水土病」について書いている。そんな朝鮮に、慈恵医院
の管制が発布されたのは1909年のことであった。本格的に近代医学医療制度が導入
されたのは、朝鮮総督府時代からである。総督府が設立した大韓医院は、やがて
京城帝大(現在のソウル大学)付属病院となり、朝鮮半島の近代医学、医療発展の
中心的存在となった。各開港都市と国境都市は1910年から厳しい防疫、検疫を実旋
しており、疫病の浸入防止に取り組んでいた。コレラ天然痘、ペストなどの大流行
は1918年〜20年が最後となり、その後は乳児の死亡率が撃滅した。
その後、地方の医療制度は清州、金州など順次各地で確立され、医師の養成と疫病の
防止に全力が注がれた。さらに、150万円の下賜金から済生会がつくられ、李朝以来
存続していた階級制度の廃止とともに、各道から市町村に至るまで医療設備が整備
されていった。賎民も国民として、近代医療の恩恵を受けられるようになったのである。
30年代に入ると、近代医療制度の確立と普及によって、中国大陸から来襲してくる
疫病を完全に食い止められるようになっていた。飢饉による餓死と、疫病による大量の
死亡者を出していた中国大陸とは、天国と地獄ほどの隔世の感を抱くほどであった。
ことにインド、中国から朝鮮にわたって猛威を振っていたハンセン病には徹底して対処し、
6000人以上収容できる小鹿島更正園は世界的に有名になった。
日帝36年」はほかならぬ近代医学による衛生、環境の改善と疫病の撲滅によって
朝鮮半島の生命保全韓民族の繁栄に大きく貢献したのである。




『日本人はとても素敵だった』楊素秋(台湾人女性)著より 


そして、負けた側(日本)がある程度経済的に豊かになると、今度は、「弁償」という
言葉のもとにゆすろうとする。これはやくざのやり方です。中国や朝鮮・韓国は、それを
ずっとやり続けています。テレビを見る度に日本の悪口を言ってる朝鮮の人などを見ると、
私は憤りに似たものを感じます。 不公平だと。
してもらったことに対して、なぜありがとうと言わないのか、と。




アメリカの鏡・日本』 ヘレン・ミアーズ著 より抜粋


○韓国は古くから中国の属国だった。国を統治する王家はあったが、彼らは中国朝廷に朝貢し、
外交政策は中国に指導を仰いでいた。

○日本は韓国の「独立」という実にもっともな動機から、中国、そしてロシアと戦った。
第二次世界大戦後の日本は、自分達は何のために戦ったか忘れてしまったかもしれないが、
日本はとにかく当時の国際慣行を律儀に守り、それに促されて行動したのだ。
日本外務省が韓国の「対外関係と対外問題」を「管理統括」し、日本人の総督が韓国の首都で
行政権限を与えられていたのはすべて、韓国政府と締結した条約にもとずくものである。

日清戦争は日本からみれば、完全な成功だった。西洋列強は喝采し、日本における彼らの
「特権」を相次いで放棄した。そして、日本を対等の主権国家として承認した。
日本は韓国に自由を贈り、韓国国王は中国皇帝、日本天皇と肩を並べる皇帝の地位を得た。

○1910年、日本が韓国を併合したのは韓国の新皇帝が「請願」したからだった。
パールハーバー真珠湾攻撃)以前は、日韓関係について語る歴史家は、日本は欧米列強から
教わった国際関係の規則を実に細かいころまでも几帳面に守っていた、と言ってほめるのだ。
トリート教授によれば日本は「ひとつひとつの手続きを外交的に正しく積み上げてきた。
そして宣言ではなく、条約で、最終的な併合を達成したのである」事実、列強の帝国建設は
ほとんどの場合、日本の韓国併合ほど「合法的」手続きを踏んでいなかった。

日露戦争後、アメリカは「事実の論理」を認め、韓国から代表を引き上げた。
韓国皇帝はセオドア・ルーズベルト大統領に訴えたが、大統領は「韓国は自主統治にも自衛
にもまったく無能力であることがはっきりした」として、介入を拒否した。
日本によって「その後三年の間に、現地情勢に詳しい外国人たちの賞賛を勝ち得るような改善
が多く実現された」と書いたアメリカの歴史家もいるのだ。




崔慶禄 (戦後、大韓民国陸軍師団長、士官学校長、参謀総長、メキシコ大使、英大使、在日韓国大使を歴任)


日本は、統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに
近代化したことは、どうしても否定できない事実である。日韓併合後、日本人は鉄道、道路、
架橋、用水路、植林、河川整備、堤防、港湾、学校施設の建設をはじめとする、大規模な公共
事業を始めた。このために、それまで韓国には、食うや食わずの失業者がひしめいていたが、
一般の 民衆に仕事が与えられて大いに潤った。日本は乱脈だった李氏末期の韓国社会を正した。
韓国に法治社会をもたらした。日本が韓国を統治した間に、一方的な収奪を行ったというのは、
大きく事実に反する。今日、日本統治時代を体験した韓国の知識人は、それが事実であることを
知っていながら、客観的事実を認めることを拒んでいる。韓国は日本の力によって短期間のうちに、
日本人が咀嚼した西洋の実用主義を定着させ、近代世界に入ることができたのだ。
日本統治時代になって、はじめてまじめに働く多くの者が報いられるようになった。
また、韓国人の福祉が大きく増大したのだ。




1909年 12月4日
「韓日合邦を要求する声明書」
一進会(百万の朝鮮人会員)


日本は日清戦争で韓国を独立させてくれた。日露戦争でロシアに食べられる寸前の韓国を救ってくれた。
それなのに韓国はこれを感謝しなかった。あの国に着き、この国に着き・・・結局は外交権を奪われる
事になった。しかし、これは我々が自ら招いた事態である。丁未条約(第三次日韓協約)を締結する事
になったのも、やはりハーグ事件を起こした我々に責任がある。 
伊藤博文が韓国の国民を見守ってくれ、皇太子を導いて韓国の為に尽くしてくれた事は忘れられない。
それなのに暗殺事件が起こってしまった。今後、どんな危険が到来するのかわからない。これもまた
韓国人が自ら招いた事態である。
(中略)
だから劣等国民として保護されるよりも、日本と合邦し大帝国を作ろう。
世界の1等国民として日本人と全く同じ待遇を受けながら暮らしてみよう。


→ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n114556


歴史認識が何だって!?