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安倍氏憲法改正へ一歩 雌伏5年…「蹉跌乗り越え」



自民党安倍晋三総裁が再び首相の大任を担う。
1度目は前任者の小泉純一郎元首相がレールを敷いた「禅譲」の色合いが濃かったが、今度は違う。
不利な情勢にあった9月の党総裁選に逆転勝利し、さらに衆院選でも自力で2度目の首相の座を引き
寄せた。だが、大勝しても安倍氏は16日夜のフジテレビ番組で淡々とこう述べた。



「基本的に自民党に対して完全に信頼が戻ったということではない。(有権者は)期待に応えていくか
厳しい目で見ている」
勝利は民主党や第三極の自滅によりもたらされたもので、浮かれている場合ではないと引き締めている
のだろう。


「気負い」見えず



5年3カ月前、病に抗せず退陣を余儀なくされた安倍氏は今回、尊敬する幕末の志士、吉田松陰の戒め
「一蹉跌(さてつ)を以(もっ)て自ら挫折することなかれ」を実践してみせた。

 

「私は政治的に一度ほとんど死んだ人間だ。もう怖いものはなくなった」
安倍氏は総裁選以降、会合などで現在の覚悟についてたびたび強調してきた。
その通り、最近の安倍氏の言動からは以前は目立った「気負い」はうかがえず、自然体にみえる。



フジテレビ番組ではこうも語った。
「(前回は)今より6歳ほど若く、肩に力が入りすぎていた」
政権を投げ出したとの批判にさらされ、いったんは議員引退すら考えた安倍氏が、親族を含む周囲の反対
の声を押し切って再び立ち上がったきっかけは何か。
それは皮肉にも、自民党から政権を奪った民主党政権のあまりの体たらくゆえだった。
連戦連敗の外交、誤った政治主導、東日本大震災の復旧・復興の歯がゆいばかりの遅滞、改善されない
デフレと円高…。

 

蹉跌を経験し、そこに学んだ自分だからできることがあるのではないか−。
安倍氏は首相退陣後、人事をはじめとする政権運営や各種政策などについて、「あのときはこうすべきだった」
「自分の考え通りにやるべきだった」と思い返したことの一つ一つをノートに書きとめ、読み返して熟考を重
ねてきた。



やり残した宿題


 
昨年3月の東日本大震災の際は発生直後から食料や医薬品など支援物資を積んだ軽トラックなどに自ら乗り
こみ避難所を何度も訪れて被災者の話にじっと耳を傾けてきた。
必ずしも再登板を期してのことではなかったが、雌伏の5年間は決して無駄にはならなかったはずだ。



日米関係を対等にするための集団的自衛権の政府解釈変更、根拠もなく慰安婦募集の強制性を認めた河野談話
見直し、靖国神社参拝などやり残した宿題も片付けなければならない。

 

「何とか来年の参院選と4年後の参院選に勝ち、憲法改正を果たしたい」

 

安倍氏は総裁選後、周囲にこう大望を明かした。ただ、政権に返り咲いたからといって、いっぺんに何でも
できるわけではない。やるべき政策課題に優先順位をつけ、一歩一歩確実に前に進んでいくしかない。



→ http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121217/elc12121709210247-n1.htm



この5年間に及ぶ臥薪嘗胆を重ねる日々。
過去の過ちを正面に捉え、それを踏み台として再登板へ。
今度の総選挙は自民党が勝ったのではなく、民主党その他が
転んだだけです。 国民に見放されただけ。
政治家としては国民のため、というより“国家・日本国のため”
に頑張って欲しいものです。