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反日にブレーキかからず 李大統領、強硬外交で人気取り



李明博大統領が野田佳彦首相の親書を送り返すという前代未聞の非礼外交をやらかした。
親書拒否は対話拒否であり外交放棄である。
李大統領の実質任期は次期大統領選が行われる年末まで。
反日強硬外交で“愛国大統領”になって任期を終えたい作戦のようだ。



今回の野田首相の親書について、韓国側はとくに「李明博大統領の竹島上陸」という部分に反発している。
「もしわれわれが親書をそのまま受け取り大統領名義の返書を出せば、“竹島”および領土紛争の存在を
認めたことになる」と同時に、「親書には国家元首を刺激し冒涜する挑戦的意図が込められている」
というのだ(中央日報23日付の韓昇洲・元外相論評から)。

 

島根県竹島」と日本の地名を使っているのがケシカランというのが最大の不満のようだが、
まるで李朝時代を思わせる。文書の受け取りをめぐる日韓外交摩擦は「朝鮮通信使」をめぐる江戸時代、
あるいは朝鮮(韓国)開国でもめた明治初期以来ではないだろうか。

 

明治の時は、日本が新政府発足を伝えるため朝鮮朝廷に送った国書に「皇」の文字があったため
「王の国が皇を使うとは何だ、無礼だ」と突き返された。



ちなみに韓国では今もマスコミを含め一般的には「天皇」を嫌って「日王」と呼んでいる。
これは世界で韓国だけだ。政府は公式には「天皇」としているが、李大統領は今回、天皇謝罪要求の発言では
「日王」と言っている。

 
李大統領以下、韓国は今回も「日本ごときが何だ!」と肩に力が入っている。
反米や反北朝鮮に対しては必ず反対勢力が批判に乗り出し、親米や親北論が登場するが、反日にはブレーキが
かからない。

 

強硬論をたしなめたり批判したりすると、売国奴の代名詞である「親日派」と非難されかねない。
いまなお「反日全体主義」が横行しているのだ。

 

韓国は竹島を半世紀以上、実力支配し続けている。
あらゆる施設を設け、島では日常的に反日愛国イベントが行われ、昨年は17万人も島を訪れている。

 

これに対し日本は近年、教科書や政府白書での領有権記述、島根県の「竹島の日」制定など原則論的主張を
展開しているが、これにも韓国は「度を越えた挑発」などと大げさに非難。
対抗措置と称して今回は大統領上陸にまで踏み出し外交放棄にいたった。



→ http://sankei.jp.msn.com/world/news/120823/kor12082318350005-n1.htm


これで少しでもバ姦国のことを知り嫌韓の日本人が増えれば
いいことです。
何も旅行代金が安くたって、誰があんなトコに行くもんかと。



http://www.youtube.com/watch?v=DN7PuH-jRts:movie,w600



『韓国は“なぜ”反日か?』


→ http://peachy.xii.jp/korea/


韓国人はなぜ反日か?
まず一つに、『教育のせい』である。
では、“なぜ”韓国では反日教育をするのか?
それは、韓国にとってそれがどうしても『必要だから』である。
さて、韓国にとって、“なぜ”反日が必要なのだろうか。


★韓国の事情 『惨めな属国だった歴史を隠したい』

 
世界で知られるように、朝鮮はずっと中国の『属国』だった。
記録や物的証拠も国内外に数え切れないほど残っており、留学経験のある朝鮮人にも
自ら属国であったことを認めている者もいる。そもそも韓国の古い国旗にまで
「大清国属(清=中国)」と書いてあったのだから属国だったことは否定しようがない。


しかし韓国は国家レベルで「属国だった過去」を消し去りたかった。


古い国旗が発見された時も、韓国国内のニュースでは「大清国属」という
文字をカットして報道したほどである。


実はこの韓国の感情的問題は「反日」に密接な関係がある。
 
  

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まず、朝鮮と清(中国)がどの程度の従属関係だったか。


朝鮮というのは、中国の属国の中でも琉球(現在の沖縄)よりも低い地位だった。



そもそも、中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、
下国のなかの下国であった。
天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、
朝鮮の使臣だけは異色の丸首の衣である。
また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、
朝鮮の使臣は籠に乗ることを禁じられていたことが
「渓陰漫筆」に書かれている。
そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。

         (黄文雄『韓国は日本人が作った』徳間書店



服装も違ったし、籠にも乗れなかった。
身分が「最も低い」のだからしかたない。


身分の低さは朝鮮がどんな扱いを受けていたかを見ればより明白になる。



・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、
 馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。



朝鮮国王が宗主国の清国皇帝に奉呈した貢文に気に入らない言葉が
たった一つあっただけで、朝鮮国王は銀1万両を罰金として払った上に、
年貢への見返りを3年間停止するという厳しい処罰を受けている。



朝鮮国内にもその名残がある。
現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、
昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を
地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という
屈辱的な隷属の象徴の門だった。この迎恩門で『朝鮮の国王』が
土下座して出迎えたのは、中国の「王」ではなく中国の『使者』である。
朝鮮はそれほどまでに国家として“下”にみられていたのだ。


この1000年に渡る奴隷のごとき低い扱いは、
彼ら朝鮮民族の『民族気質』に深刻な影響を与えることになる。


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朝鮮民族の民族気質を簡単に説明するには、
朝鮮人の名前が「金(キム)」や「朴(パク)」などのように
ワンパターンになった理由を説明するのがわかりやすい。



1.朝鮮人は長い間中国の属国として低い身分にあったため、低い身分の者や
 貧困者、弱者、ひいては身障者などへの虐待を「下の者が下に見られるのは
 仕方のないこと、上の者が下の者を見下すのは当然のこと」と考える民族的
 傾向が定着していた。屈辱を「当然」と考えなければ精神的に乗り越えられない
 ほど、千年の隷属というのは長かった。


2.朝鮮は虐げられる者の反動として、より低い者を虐げる「貴族社会」が
 長く続いた。そのため、家系が悪ければ努力はほとんど無意味だった。
 貴族が裕福なのも、奴隷が貧しいのも、生まれた家に決定された。


3.やがて低い身分にある者が「自分の先祖は名門だった」と思いたくなり、
 いつしか「偽の家系図を買う」または「家系図を書き換える」ことで
 底辺で虐げられる身分から一発逆転を果たすことが流行してしまった。


4.その結果、皆が「限られた同じ名門(両班という)の名前」になり、
 形の上では皆が同じ名門の家系出身の者ということになった。
 逆に底辺(白丁という)の出身者は歴史の闇へと消えていった。
 現在、どの韓国人に聞いても「私は由緒ある両班の出身だ!」と
 答える。今はもう白丁の子孫であってもその自覚すらなくなっている。
 



元より宗主国・中国も姓の種類は少ないが、その一部をコピーした属国の中で、
さらに系譜の偽装が行われ「名門・良家の姓」にのみ絞られていったため、
朝鮮人の姓は極端に種類が少ないのである。



ここで朝鮮人の民族特性をまとめ直すと、
まず、『誰よりも“過去や先祖”を誇りたがる民族』であるということ。
民族の成り立ち上、醜い過去に対するコンプレックスが強いのである。


そして『努力せずに嘘や小細工で勝ち組になれることに味をしめた民族』
であるということ。過去の歴史を書き換えることで名門になることが
できた国の人々なのである。


このような性質を持つ彼らには、朝鮮民族の歴史はあまりにも惨めすぎた。
つまり痛々しすぎて自分たちの過去を振り返るのが苦痛なのである。
それゆえ、独立した後に“民族意識を高めるための愛国教育”と称して、
『我が国は5000年間一度も他国に支配されたことの無い独立国である』
という“偽りの栄光の歴史”をあたかも真実のように国民に教え込むことに
したのである。
これが韓国の愛国教育の成り立ちである。