反日的であれば何でもOKよ!(by 変態新聞)

競馬

風船爆弾の発射基地 謎に包まれた最前線/千葉』


風光明媚(めいび)な海岸線が連なり、首都圏のサーファーたちで
にぎわう一宮町の一宮海岸には戦時中、全国で3カ所しかない
風船爆弾の発射基地があった。
跡地は農地になり、当時の様子を伝える手掛かりは何もない。
残っているのは地元の資料館に眠っている基地の建築物とみられる
石の破片だけだ。【寺田剛】


◇風化恐れる証言者ら
一宮町に隣接する睦沢町の歴史民俗資料館には、93年に地元から持ち込まれた
「打ち上げ台の破片」が収蔵されている。重さ360グラム。
直径8センチほどの握り拳大のコンクリート片で、一宮海岸近くで見つかったものという。

 
「本当に発射基地の跡のものかは確かめようがない。逆に言えば、これしか残っていないのが現状です」
同館の久野一郎学芸員(52)は残念そうに話す。

 
風船爆弾は、物資もろくに持たない日本軍の苦肉の策とも言われた。
風船爆弾を製造した兵器研究施設、陸軍登戸(のぼりと)研究所(川崎市)についてまとめた書籍
「あなたは旧陸軍登戸研究所を知っていますか」(旧陸軍登戸研究所の保存を求める川崎市民の会刊)
によると、アメリカに到達した風船爆弾で7人の犠牲者(妊婦を含む)が出たほか、
山火事などの被害をもたらした。
効果を疑問視した日本軍は早々に発射を取りやめたが、米軍は細菌を積んだ風船が飛んで
来るのを恐れていたという。
久野さんは「焦った米国が、原爆投下を早めるきっかけになったのではないか」とも推測する。

 
風船爆弾は軍の機密事項だった。一般人の基地周辺の立ち入りを制限し、
近くを走る外房線の列車の窓も閉めさせた。

 
戦後は、打ち上げにかかわった軍の関係者は全国各地に復員し、国有地だった基地跡地は終戦後、
民間に払い下げられた。食糧事情の悪化で、発射台は壊されて、跡地は畑になり、跡形もなくなった。

 
一宮町郷土史家、川城昭一さん(81)は
「海岸近くに1基約100平方メートルのコンクリート製の台座があった。厚さが20センチぐらい。
何かの工事で取り壊された時に調査に行き、同行者が拾った破片を資料館に持ち込んだ」と証言する。

 

「風が海に向かって吹く夕方には、海岸沿いの松林の向こうから、楕円(だえん)形の
大きな風船がいくつも浮かんでいた。そりゃきれいだったよ」。
7歳のころから発射基地跡地近くに住む鶴岡政次さん(76)は、
少年時代に見た光景を思い出す。発射台は海岸線と並行して十数基並んでいた。

 
外房線から基地への引き込み線の建設には、徴用された朝鮮人に交じって、
地元の大人たちも駆り出された。
軍部のことは、何か知ったとしても「見ざる」「言わざる」「聞かざる」の時代。
「あのきれいな風船が爆弾だったと知ったのは、戦後、間もなくしてからだよ」

 
基地の兵隊たちは終戦間近、発射台と火薬のみを残して引き上げた。
台座は直径10メートル以上ある円形のコンクリート製。北側には風よけ用の木材が積まれていた。
台座の上で風船に爆弾をすえ付け、水素ガスを充てんして空に放っていた。

 
残された火薬は、地元の消防団員らが海辺で爆発させて処理した。
あれから60年以上が過ぎ、波と遊ぶ若者が集う海になったが、歴史は忘れ去られようとしている。



川城さんや鶴岡さんのように一宮町にかつてあった風船爆弾を知る証人は、高齢化で減りつつある。
一宮町文化財担当者は「発射基地があった証しを残す必要は認識している。
しかし、台座が現存せず、適当な町有地もない現状では難しい」と話す。

 
風船爆弾を飛ばしたのは陸軍の気球専門部隊である気球連隊。
国内3カ所にあった基地のうち、連隊本部があった茨城県北茨城市の海岸には、発射地跡を示す
「忘れじ平和の碑」がある。市民ら数百人の有志が総額370万円の募金を集め、84年に建立した。

 
川城さんは
「このままでは地元の人すら知らない歴史の一コマになり、やがて戦争があったことすら
忘れられてしまうのでは。風船爆弾の史実を語り継ぐ取り組みが必要だ」と話す。



◇行こうョ!千葉遺産
基地跡は一宮町の一宮海水浴場近くにある。
上総一ノ宮駅から付近の海岸まで真っすぐに延びる県道は「一宮停車場線」と呼ばれ、
基地への鉄道の引き込み線の跡に作られた。
周辺にはサーフショップやコンビニエンスストアなどが立ち並び、当時の様子を示すものはない。



■ことば

風船爆弾
軍需物資が乏しくなった第二次世界大戦末期の1944年11月ごろ、陸軍が開発した。
和紙をコンニャクのりで張り合わせた風船(直径10メートル)に爆弾を搭載し、
偏西風に乗せて米国まで飛ばした。
一宮町茨城県北茨城市福島県いわき市の計3カ所の基地から約9300個が発射され、
うち約300個が米国本土に到達したことが確認されている。


毎日新聞 2009年1月29日 地方版

→ http://mainichi.jp/area/chiba/news/20090129ddlk12040207000c.html



>行こうョ!千葉遺産

この「寺田剛」記者ってマジキチですな。
何が『行こうョ!千葉遺産』だよ、バカ!
兎に角、日本の暗い面を引っ張り出して
偉そうかつ感情的に指摘する大馬鹿者。
当時の日本の置かれた戦況、立場・状況などを
全て無視しての上から視線。
流石に反日売国国賊変態新聞ですな。


wikipedia:風船爆弾