パラオの恩人

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『シゲオ・テオン氏のご冥福をお祈りして 』


パラオの父”死去 日本軍玉砕のペリリュー島で遺骨収集や慰霊に尽力
太平洋戦争末期に日本軍1万人以上が玉砕したパラオ共和国ペリリュー島で、
戦没者の遺骨収集や慰霊活動の支援に尽力してきた現地の有力者、
シゲオ・テオン(日本名・庄子茂夫)さんが先月21日、88歳で亡くなり、
今月2日に葬儀が行われた。
日本人から“パラオの父”と慕われたシゲオさんの死を悼み、
戦友会などの関係者が年明けにも訪問団を結成してパラオに墓参する予定だ。


「博士の独り言」様

→ http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-1998.html


この話。確かにどこかで読んだ記憶がありますね。



遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」 
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。
太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。

やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。



それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」  
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…



船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。



しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。