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『医師の看板 「総合科」で開業医はどう変わる』(読売新聞)
→ http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20070522ig90.htm


先般より、業界では何かと話題(?)となっている総合診療医、総合診療科の新設 ...。


別に、この話題が出たからではありませんが、子供の頃にかかっていた
1人の医師を懐かしく思い出します。
自宅からバスで5分ほどの処の住宅街の外れで開業していた『○○○外科』。
(○○○は、ひらがなで3文字)
ここの院長先生兼唯一の医師であるお医者さんは、今考えても“お医者様”の称号が
相応しいほどの名医だったと思います。
元々は某国立病院で外科医として腕を振るっていたそうですが、思う所があってでしょうが
この地にて開業。 確か、スタッフは看護婦さんと薬剤師さんの数名だったかな。



郊外の住宅地にて開業した診療所です。
看板には“外科”の文字を全面に出してますが、客層は完全に内科系患者。
常連客は青少年や幼児が主力で、大人も混じっていましたかね。
いつも一杯でしたね。 ソファーに座り切れずに、廊下や階段に座っていた人もいました。
ごく普通の、広くもなく狭くもない2階建の個人診療施設。



私は、この診療所が出来てからは、高校を卒業するまで、ここ以外の診療施設へは
とうとう行きませんでしたね。
理由としては、子供の頃から培われた信頼感だったような気がします。
この診療所に通った主な主訴としては、
○風邪・発熱
○プロレスごっこで頭部をタンスにぶつけ、頭皮が切れて5針縫う
○(アフタ性)口内炎  痛くて、我慢出来ない時は迷わず通いました。
 確か何かで焼いて直しましたね。 そう、アフタ部を焼いてる時は、もう涙モノでしたねぇ。
これで全てかな? 



あと、忘れられないといいましょうか、未だに感謝しているのが『小指切断事件』です。
中学時代、野球部の練習中に起こった事故です。
捕手の私が、三塁と本塁に挟まれた走者・K君を追いかけていた私の前で、何かの拍子にそのK君が
滑って転んでしまい、それを避けようとして飛び越そうとして着地した時に、運悪く、
K君の右手小指をスパイクで踏んでしまい、その小指が皮一枚のみを残して、事実上の切断状態でした。
本人及び周囲はパニック! 同級生の彼は、すぐに顧問教諭とタクシーで『○○○外科』へ。
すぐに縫合手術をしてくれたそうです。
彼は高熱に悩まされもしましたが、無事に小指の第一関節は繋がって、手術は成功しました。
もし、あの先生がいなかったら ...。 その後の彼と私は ...。
まぁ私は心理的な負い目で済むかもしれませんが、K君は右小指第一関節より上が無い状態で
一生を過ごすことになりますからねぇ。
もう、この件を思えば、今でも感謝の念で一杯です。
この事件を契機に、私の中学校関係者の中で『○○○外科』の評価が、一段と高まったのは
言うまでもありませんよね。



そう、このお医者様は、地元の小学校や中学校での検診や予防注射なんかでも
お世話になりましたね。



この『○○○外科』は、推計90%以上の患者さんが、風邪・発熱、腰痛、
打撲、怪我、骨折、などから私のように口内炎治療まで、“外科”とは関係ない疾患でも、
嫌な顔ひとつせずに、何でも治療してくれました。
さしずめ、このお医者様は『オラが村のブラックジャック』だったんでしょうかね(笑)。



現在でも『○○○外科』は健在です。
ただ、あの先生が診療しているかは不明です。 年齢的にどうでしょうか?
恐らく、息子さんか娘さんか娘婿さんが、先代の家業と意思を継いでるものと察してます。



蛇足ですが。
記憶に間違いがなければ、当時は医師を“お医者様”と考えても、見下したり、
悪態を衝く対象になるとは、努々考えられませんでしたねぇ。